星空シアター -21ページ目

GOLFがやってきた

◆我が家に新しい仲間、フォルクスワーゲンGOLF WAGONがやってきた。

◆これまで、トヨタ、ホンダ、マツダと国産車にお世話になってきた。よく走ってくれたマツダ「デミオ」くんが、とうとう調子悪くなり、新たな車を選択することになった。かねてよりあこがれていたドイツ車を選ぶことにした。といっても、選択肢が広いわけではない。出せるお金は少ない。そこで、居住性がよく、また荷物部分にチェロが積める条件で、フォルクスワーゲンGOLF WAGONを選んだ。

◆むろん中古車である。知り合いの車屋さんが奔走してくれ、デミオ君を売りさばき、さらに手頃なGOLF WAGONを探してくれたのだ。感謝感謝。

◆その、加速のすばらしさ!軽く(アクセル、ブレーキペダルは実にソフトだ)踏み込んだだけで、すーっと80Kmまで瞬時に加速する。

◆夜間の室内のライティングインテリアがやはり日本感覚と違う。ブルーをバックにに真っ赤な計器バーが浮き上がる。パワーウインドウ等の操作ボタンも赤く点灯する。まさに異次元空間に入り込んだ感覚だ。

◆中古車だが、まえのオーナーがすてきなプレゼントを残してくれた。なんと、SONYの6連奏CDチェンジャーである。標準はMDのみなので、これは最高にうれしい。現在はモーツアルトのピアノソナタ全集を積んでいる。

◆大切にそして誇りを持って乗っていきたい車である。

24セカンドシーズン10:00

◆大変感動的なエピソードである。核爆弾が解除不能であり、誰かが砂漠まで運ばねばならない。自分の命を犠牲にして。もちろんそれは、我らがジャック・バウアーだ。

◆「アルマゲドン」をはじめ、多くの人の命のために、自らの命を犠牲にする。そんな精神はアメリカ的である。

◆とは、思いつつも、ジャックと娘のキムとの別れの会話は、やはり感動的である。「ありのままのおまえでいい。ただ一つ望むなら、母さんのような尊敬できる女性になってくれ」ジャックの目にも、涙があふれる。すばらしいシーンである。

◆しかし、ジャックが死んでは話が終わるので、ここで登場するのが、上司のメイソンだ。放射線を浴びて、余命幾ばくもないメイソンが、核を運ぶ役目を引き継ぐ。口うるさい上司メイソンだが、最後の華を咲かせる。アメリカ映画では、このように、悪役だったりだめ人間だったキャラに最後に花をもたせることは多い。代表的なのは、「エイリアン2」でのダメ隊長だ。エイリアンの追撃を阻止すべく、自爆する。

◆「踊る大捜査線 レインボーブリッジを封鎖せよ」では、傲慢な女性上司が登場するが、彼女は最後まで悪役をさせられ、大変気の毒であった。最後に一花咲かせてあげたかった。このあたり、日本映画とアメリカ映画の違いが見られる。

◆さて、メイソンとジャックとの最後の対話も感動的であった。メイソンは息子がいたことを職場では誰にも話していなかったようだ。以前のエピソードで、その息子と電話で話すことはできたが、会うことはかなわなかった。メイソンと息子との間にどんな確執があったのかは、詳しく語られないが、子を思う父の気持ちがよく伝わる。次のジャックとの会話だ。ジャック「何かしてほしいことは?」メイソン「そうだな、よかったら時々息子のことを見てくれ」

◆このような感動的なシーンが続く、このエピソードは、セカンドシーズンの白眉である。

ダイアルMを回せ!

◆BSデジタルにて視聴。
◆ヒチコックの名作だが、まだ未見であったので、楽しみに見た。

◆これは、舞台劇かと思わせるくらい、ロケシーンがない。すべてスタジオにて撮影したと思われる。昔はそうだったのかなあ。

◆アクションは、グレースケリーが殺されようとする場面のみで、だからこそ、このシーンは映画の中で衝撃的であり、印象的である。

◆あとは、最後のどんでん返しまで密室劇の風情だ。

◆グレースケリーが裁判で死刑を宣告されるまでを、彼女の表情とライティングのみで表現するところは驚きと新鮮さがあった。こんな時間のすっ飛ばし方も、グレースケリーの美しい顔を見ながらならば、許せてしまう。

◆評価は☆☆☆(グレースケリーのスタイル抜群の下着姿に)
◆カメオ出演のヒチコックはまったくわからなかった。

深まる島の秋

◆島は本土より気温が1~2度低く、秋の深まりも早い。

◆仕事帰りにすばらしい夕暮れの雲を見た。この島の夕暮れの雲は大好きだ。
 高い山がなく、広い空に暮れゆく空に何ともいえぬ美しいグレーを描き出す。

◆このすてきな夕暮れの島とも、3月にはお別れだ。
 何気ない日々の風景の中に美しさがある。
 ひとつでも多く目に焼き付けておきたい。

24 セカンドシーズン DISK5 16:00~18:00

◆シーズン1に比べ、若干のスピード感のゆるみはあるものの、4か所のストーリーがからみ合いながら展開する複雑なシナリオには相変わらず、頭が下がる。

◆大統領元夫人が登場し、謀略暗躍の悪役を演じるが、日本語吹き替えが、なんとも憎々しげでよい。

◆キムのストーリー(虐待親父)がどう核爆弾テロにかかわってくるかが楽しみである。それにしても、(ねたバレ注意)花嫁であるマリーが、あんなかたちで登場するとは、久々のショッキングであった。やはり政略結婚なのか。また、父親もぐるとするならば、なぜ姉だけが違うのか。なぞはまだまだ多い。DISK6に期待したい。

◆評価は☆☆☆☆(マリーのショッキングに。女は強いね)

だれも知らない

◆いやあ久しぶりの小屋での観賞。うれしいなあ。シネコンでの見る映画の選択肢はいくつかあったが、「カンヌ」で最年少主演男優賞の彼の演技を観たくて、「だれも知らない」を選んだ。つくづく「賞」に弱いのだなあ。

◆時折流れるゴンチチのギターデュオのみの音楽は、映画の淡々とした雰囲気に磨きをかけてくれる。はじめ、あれ、この映画は音楽なしかな・・・って思っていたくらい。それくらい悲惨なネグレクト(養育放棄)の事実を淡々と映画はつづっていく。

◆兄のアキラが他に助けを求めないのは、「いっしょに暮らせなくなるから。前にそんなことがあったから」の一言で納得させられる。

◆どんなことがあっても、万引きだけはしなかったアキラのその道徳性を培ってきたものは何だったのだろう。学校に行っていないのだから、学校で学ぶものでなく、人間が本来持っている善意であるのだろう。学校に行っている子供の方が、万引きをしているのだから、学校の教育とは何だろうかと考えさせられてしまう。

◆だからこそ、そんなアキラが、ユキがたおれた時、薬屋でやむなく万引きするシーンには胸を打たれた。にぎりこぶしを流れる汗が、見事にアキラの苦しみを表現する。

◆ユキとの約束を守って、羽田に埋葬するシーンは実に美しいものだった。暗やみの中で、二人の輪かくだけが青白く浮かび上がり、表情は見えないけれど、悲しみの先のぼう然とした心情がひしひしと伝わってくる。

◆ほとんど救いのないこの映画は、それでも、たくましく生きていく子供たちの後ろ姿のストップモーションで終わる。大人の残酷さを浮き彫りにしながら、人はたくましく生きていくエネルギーがあることを伝えてくれるこのラストシーンは、唯一の救いである。

◆評価☆☆☆☆子供たちのすばらしい演技に。

キル・ビルVol.2

◆あれ、もうDVD出てたのってくらい、最近は劇場公開後のDVD化は早い。

◆見終わって、おもしろかったと感じると同時に、「やはりVol.1は最高だよな」とつい比較してしまうのがわれながら未熟というおうか、残念。

◆圧巻は、ダリル・ハンナ(ブラック・マンバ)との死闘である。目玉をくりぬかれて、完全に盲目となるダリルは気の毒だ。とどめもさしてもらえない。彼女は、キドーに復しゅうに来るだろうか。それとも、自分の毒へびにとどめをさしてもらうのか。何とも半ぱな終わりかたではあった。それにしても、ダリルはなぜ、師匠に片目をくりぬかれたのだろうかなあ。

◆ビルはその姿を具体的にさらすと、狂暴性よりも、知的で弱々しいくらいだ。キドーとの子供をやさしく育て上げてきた父親だ。最後の対決もカンフー心臓停止わざであっけなく、もっとアクションを!とさけぶのは私だけだろうか。

◆子供のためにビルの元を出て、結婚して普通のお嫁さんになりたいってのも、何か納得いかないものを感じてしまう。

◆で、評価は☆☆とちょっと辛め。エンドタイトルのVOL.1の面々はよかった。

ヴァイブレーター

◆コンビニをさまよう一人の女。自問自答をくり返し、尋常ではない。長ぐつの男が入ってきて、この男を見た瞬間、胸のヴァイブレーターが鳴る。男と女が出会いピピッと来るその瞬間を、ヴァイブレーターで表しているわけだ。その後、この映画にはヴァイブレーターは出てこない。携帯電話すら出ず、代わりにCB無線という昔からあるコミュニケートの手段が、孤独な2人を少しは癒してくれるのだが。だから、題名から、Hな映画を期待するとはずしてしまう。

◆むろん私は、Hな映画を期待したわけでなく、主演の寺島しのぶがこの映画等でその演技が評価されていたのを知っていたから、観たかったのだ。(ほんとよ)

◆共演の大森南朋の演技は、いつもながらに自然で映画に引きこんでくれ、集中させてくれる。いい俳優だ。彼は、中学も出ていないのに、知識が豊富であり、限りなく優しい。女はそのやさしさに癒され、一皮成長して、トラックを降りるところで映画は終わる。

◆女はPTSDらしき兆候を臭わせるが、都会の一般的な孤独な女性と考えていいだろう。男も、妻や子がいるとうそをついてしまう、やはり孤独な都会の男である。二人の短い癒しの旅は、観るものに、孤独感と少しの癒しを同時体験させてくれる。つまりいつの間にか主人公に同化していくように感じる。

◆人はだれしも孤独であるが、周囲のちょっとしたことに癒されながら、日々を歩んでいく。映画を見終わった後には、そんな少しさわやかな感情といくばくかの達観の境地に立たせてくれる映画である。決してHを期待しないように。(くどいか)

台風23号

◆本来ならば、19日の夕刻の飛行機にて、本土に渡る予定であったが、台風23号の接近に伴って、飛行機の発着が危ぶまれたので、急遽14:30のフェリーにて呼子に渡る。どうも、この船が島からのこの日最後の船であったようだ。当然飛行機も飛んでいないだろう。ああ、よかった。島はこれがあるから怖い。天候により島から出られなくなることがある。

◆しかし、本土に渡ったのはよかったが、目的地の大村までのなんと遠いこと。目的地に到着したのは20:30である。つまり6時間も掛かっている。6時間もあれば、北海道まで往復できちゃうではないか。

◆とまれ、20日の出張は無事終わり、次の出張先へ行くために、JRの駅に到着。目的地は特急で隣の駅である。ところが、台風23号の影響はまだまだ居残っており、みどりの窓口のお姉さんに「次ののぼりは何時?」とたずねると「未定です」
結局1時間ほど待って、列車に乗ることができたけれど、正確無比のJRにおいて「未定」という言葉には驚きを覚えるともに、天災時の人の卑小さを感じた。台風の時はじっと過ぎ去るのを待つしか出来ない。

◆21日は台風一過。本当に雲ひとつ無い晴天であった。今回は台風と出張が重なり、大変だが、貴重な体験をすることが出来た。

◆写真は駅の列車遅れの看板。 

コールドマウンテンー純愛ロードムービー

■かなりとうがたってきたものの、まだまだ美しい二コール・キッドマンとジュード・ロウの,南北戦争によって引き裂かれる純愛のドラマである。最近は何と言っても純愛ブームである。

■同時に,軍隊を脱走してまでもコールドマウンテンへの帰路を急ぐ,ジュードロウに幾つかのエピソードが絡む,いわばロードムービーでもある。中でも印象深いエピソードは,ナタリー・ポートマンの寡婦とその赤ん坊の話である。戦争の悲惨さを心に強く刻むエピソードだ。夜の寂しさに耐えられず,横に寝てくれと頼むナタリーの涙は,かつて太平洋戦争時に日本にも多くいたであろう寡婦の悲しみを訴えてくる。赤ん坊に情けをかけようとした北軍兵を,ライフルで撃つナタリーのすごみと皮肉は戦争の場面では数限りなくあったことであろう。人はなぜ戦争をしてしまうのだろうか。神がいるならなぜ,このような試練を与えるのか。繰り返し繰り返し。

■この映画に活力を加えるのが,レニー・ゼギルガーである。粗野だが人間味あふれ,いきる知恵を備えたキャラはこの暗くなりそうな映画を明るく照らす太陽である。彼女がお嬢様だったニコールを変えていく。レニーの存在はニコールにとってどれだけ幸せであったことか。映画「マレーナ」の場合は一人残されたマレーナに生き抜くための道は,女であることを利用するしかないという悲しい結論であったことを思い起こさせた。「マレーナ」に比すればニコールは幸せである。

■そして,レニーの父のフィドル(バイオリン)弾きは,音楽のすばらしさを知らしめてくれるキャラだ。私だって,兵士になるより演奏家になる道を選ぶ。人を殺す仕事と人を癒し,喜ばせる仕事のどちらを偉ぶってそれは決まってる。

■自然の美しさ,純愛のすばらしさ,戦争の悲しさ,それらのテーマが分かりやすく示され,印象深い作品である。

■評価☆☆☆☆(満点は☆5つ)